H6 アルシオーネSVX VL ブレンボ・HDDナビTV

ブレンボ・345mmローター新品 ステンメッシュブレーキホース エナペタルショック トレーサーAW  

社外キーレス 社外ハイスペックスピーカー iPod対応インダッシュナビ

エナペタルと外サスによるローダウン。程よい落ち方です。

VTD-4WDと舵角センサー感知による電動4WSの組み合わせで可能な超コーナーリング。

黒ボディにゴールドピンストライプ・ゴールドアルミホールの組み合わせ。

フラット6スポーツマフラーは甲高い音、フェラーリの様な感じです。

 

概要

キャッチコピーは『遠くへ、美しく。』、『500miles a day』。

日本国内向きにはアルシオーネの2代目にあたるが、海外では単にSVXという別モデル扱いをされている。国際性のあるグランツーリスモと位置づけ、開発のポイントとして、先代の高い空力性能は引継ぎつつ、悪天候下における安全性を兼ねそろえることが目標とされ、240psを発揮するEG33型3.3L水平対向6気筒エンジン(レガシィ ブライトン220用EJ22型水平対向4気筒SOHC16バルブ2.2Lをベースに2気筒追加し、ヘッドを狭角DOHC化したもの)と、トルク配分式4WDシステムを搭載した。なお、総排気量が3.3Lとされたのは、3.0Lターボエンジンと比較して、「GTには自然吸気のフィーリングのほうがふさわしい」という理由[1]から、3.0Lに1割増しの余裕が与えられたためである。

先代アルシオーネのデザインに批判的な声もあった反省からか、ジョルジェット・ジウジアーロによるエクステリアデザインとなっている。また、グラスtoグラスのキャノピーはミッドフレームウインドーを日本で初めて採用している。これはドアガラスがルーフ面にまで回り込む形状のデザインでサイドウィンドウ全体を開閉できないため、その一部だけが開閉されるようになっている。スポーツカーさながらのスタイルを持っているものの、スペシャルティカーという設定とされたため、マニュアルトランスミッションは設定されなかった。

意欲的なスタイリングコンセプトとメカニズムを持った同車であったが、登場時期がバブル景気終焉期であったことも重なり、高級車(特に2ドアクーペなどのスペシャリティモデル)市場の冷え込みと、スペシャルティカー市場での顧客からみたブランドイメージの齟齬の要因もあり、販売面では苦戦を強いられた。そしてレガシィの大ヒットにより、スバルのイメージリーダーカーとしてのアルシオーネは役割を果たされたとし、生産ラインをフォレスターに譲り1996年12月、生産終了となる。日本国内販売台数は生産終了までの期間でわずか5,884台[2]、海外輸出分を含めた総生産台数は23,750台ほど。
車名の由来

SVXとは、「Subaru Vehicle X」の略。スバルが提唱した「グランドツアラー」を象徴した呼び名である。なお、「アルシオーネ」については、スバル・アルシオーネ#名前の由来を参照。
グレード・輸出仕様と日本仕様の相違など

 Version L =型式CXD 生産台数1,905台 1991年9月~1992年9月 舵角センサー感知による電動4WS
Version E, S3, S4など=型式CXW
外観では内装以外に区別できないが、VersionLとその他では操舵系が大きく異なり機能性、操舵フィーリングも大幅に異なり、プロペラシャフトも防振タイプが採用されている。SII、S40、S3、S4はVEの一部機能をコストダウンしたモデルである。特にS4は在庫をさばききるための最終モデルとして企画された(防音処理、ガラスの精度、パッキンのゴム、オーナメントの材質などが初期モデルと異なる)。
最も台数が少ない仕様はCXD SRS(サンルーフ付)で、CXD全体の生産台数が少ないこともあり(レッドマイカの生産数は115台)、生産月は通算6か月のみであった。
最後期グレードであるS4のオートマチックトランスミッションはレガシィ用をベースとしていたが、それ以外はレオーネ用がベースのため、耐久性に問題があった。パーツリストによると細かな内部部品については度々変更されているが、S4を境にトランスミッション・アッセンブリーとコントロールユニットが変更されている。
輸出専用バージョンが多く製造された。ファイナル比が異なるため、最高速度に若干の違いが見受けられるが、高速道路における200km/h以上での巡航を可能としている。また、アメリカ仕様の4WDは、日本仕様で採用されていたVTD-4WDではなく、旧アルシオーネに搭載されていた直進性に優れたACT-4が採用された。また最廉価版である2WDバージョンも存在した。主な輸出国はアメリカ、イギリス、ドイツ、オランダ、ルクセンブルク、ベルギー、スイス、フランス、スペイン、オーストリア、オーストラリア、ブラジル、イスラエル、タイなどである。4WDシステムは各国の道路事情でACT-4またはVTDが採用されている。

生産拠点

富士重工業群馬製作所本工場

その他

ジウジアーロが提案したデザインスケッチやモックアップの段階ではリトラクタブル・ヘッドライトが備えられていた。
ボディーサイズは当初5ナンバー枠で製作されていたが開発過程で3ナンバー枠に変更された。
自動溶接38%、手溶接62%、溶接打点5,000か所以上(更に増打ち工程がありプラスαがあった)。当時の他車は平均4,000か所程度が多い。骨格部分のみ精度の向上のため一括自動溶接している。
当時世界最高厚の厚め付け亜鉛メッキ鋼板が使われた。
艤装精度は他の車種の50%増し ガラスとボディーのピンとの穴はわずか0.2mmの誤差しか許容されていない。
90%がオリジナル部品であり、他スバル車との互換性が少ない。一般的な規格ねじ類を除くとほぼ100%、オーディオのコネクターまでが専用設計である。ショックアブソーバーの径が一般的な国産車と異なり10%程太かったため(日本車(エアサスを除く)の円筒の径は基本的に同じ)、アフターパーツが存在しなかった。
耐寒、耐熱、高速試験に世界中で延べ100万kmにわたる実走試験を行っている。
ホイールのPCDはスバル普通車標準の100の5穴ではなく、114.3mmの5穴であり、2004年6月に2代目インプレッサWRX・STIのE型が登場するまではスバル唯一のものであった。
品質向上のためか、当時提携していた日産系のパーツがエアコン周りやオルタネーター等に見られる。
国内販売はバブル経済崩壊期と重なったこと加え、他社のラグジュアリークーペ(Z30系トヨタ・ソアラやユーノス・コスモ、ホンダ・レジェンドクーペ、BMW・8シリーズなど)と比べ、やや非力な240馬力であったことも影響し、販売は振るわなかった。また初期生産モデル(ディーラー在庫)も数年後に新車として販売されていた。
SVX専用エンジンであったEG33型はレガシィ向け2.2Lエンジン(EJ22)にもう2気筒足した、正に「1.5倍」とした設計であり、ボア/ストローク比も同一。また、2008年モデル・トライベッカ(EZ36=3.6L)の登場までの間、スバルブランドの市販エンジン(乗用車用)では最大排気量だった。なお、日本市場においてはトライベッカが発売されておらず、2009年のアウトバックモデルチェンジで最大排気量を更新した。そのエンジンもトライベッカと同じEZ36である。
ジウジアーロデザインによる本車こそピアッツァ・ネロにふさわしいと当時の雑誌NAVI座談会記事で冗談で語られた。徳大寺有恒は、いすゞがホンダからアコードのOEM供給を受けアスカとして発売したのど同様に、本車をOEM供給を受けピアッツァとして発売したらどうかと、提言している。
同車の販売終了後、BRZが登場するまでスバルにクーペ専用車種は登場していない(クーペ自体は初代インプレッサが2000年にフルモデルチェンジするまで存在していた)。